最高裁判所第二小法廷 平成9年(行ツ)163号 判決 1997年10月31日
愛知県豊橋市大村町字袋小路五四番地
上告人
鈴木志郎
右訴訟代理人弁護士
川崎浩二
高和直司
愛知県豊橋市大国町一一一番地
被上告人
豊橋税務署長 迎一夫
右指定代理人
齋藤雄一
右当事者間の名古屋高等裁判所平成八年(行コ)第二一号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が平成九年五月二一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立てがあった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告人代理人川崎浩二、同高和直司の上告理由について
所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。所論は、違憲をも主張するが、その実質は所得税法の解釈に関する単なる法令違反の主張にすぎない(最高裁昭和四五年(あ)第二三三九号同四八年七月一〇日第三小法廷決定・刑集二七巻七号一二〇五頁参照)。論旨は、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は独自の見解に立って原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 福田博 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)
(平成九年(行ツ)第一六三号 上告人 鈴木志郎)
上告代理人川崎浩二、同高和直司の上告理由
原判決の判断には、次に詳述するように、憲法の解釈を誤り、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背、理由不備、経験則違背、審理不尽等民訴法三九四条所定の上告理由にあたる違法があり、原判決は破棄を免れない。
第一、一、原判決は、第一審判決を引用する形で「宮地の行為は、所得税法二三四条の税務職員による質問検査権の行使とされたものと解されるところ、右質問検査権は、過少申告の疑いが明らかでない場合であっても、申告内容の正確性を確認するために行使することができるものであるから、質問検査権の行使に当たって、申告所得以外に課税すべき所得があることを疑わせる合理的な理由や客観的な根拠を必要とするものではない。また、右質問検査権行使の方法は、税務職員の合理的な裁量、選択に委ねられており、調査日時場所の事前連絡や具体的な調査理由の告知が、常に義務付けられているということはできない。したがって、宮地による質問検査権の行使は、適正手続に違背するものとして違法ならしめるものではない。」と認定した。
しかし、右原判決の判断は、国民に等しく保障されている適正手続に違反するものであり、憲法三一条の解釈を誤ったものである。
二、憲法三一条の適正手続保障条項が行政手続にも及ぶものであることは言うまでもない。
特に、所得税法二三四条一項に基づく調査は、調査するについて、被調査者の承諾を要する任意調査ではあるが、被調査者は調査について受忍義務を負い、調査に応じないときは処罰の対象になるものであり(所得税法二四二条八号)、さらに被調査者にとっては、税務職員によって調査を受けること自体、取引の信用等種々の利益につき有形・無形の損害を受けるものである。
すなわち、所得税法二三四条の質問検査権の行使は納税者の基本的人権と深いかかわりをもっているものであり、もし、質問検査権の行使が「徴税の便宜」ということに偏して運用されるならば、納税者の基本的人権は大いなる危機に直面することになる。
しかも、所得税法は申告納税制度を採用しており、原則として税額は、納税者の意思によって確定する制度となっているものであり、税務署長が例外的に「更正」するために調査を行う場合には、それだけの合理的な根拠と理由を有していなければならない。
したがって、所得税法二三四条一項にいう「必要があるとき」とは「適正、公平な課税を実現するために質問検査権行使の必要性が合理的に是認される場合」と解釈されるものであり、右解釈に逸脱して行なわれた調査は、憲法三一条に違反するものと言わなければならない。
三、また、所得税法二三四条一項三号の調査(いわゆる反面調査)においては、調査の相手方は直接に納税の義務を負うものではないし、法による資料提出を義務づけられた者でもないのであるから、その行使の範囲は、同条一項一号の調査の場合よりもさらに厳格に解すべきであり、反面調査は、同条一項一号の納税者の調査の過程において、その調査だけではどうしても税額の内容が把握できないことが明らかになった場合にかぎり、かつ、その限度においてのみ可能と解されるべきである。
また、調査にあたっては、調査の相手方に調査理由を開示する義務が内在しているといわなければならない。それは、調査の必要性の要件の実効性を確保するためにも、また、質問検査権の行使が任意調査であって、調査の相手方の承諾を得て行なう調査であることから、承諾を与えるためには、何を質問し、何を調査するのかが特定されなければ、承諾の与えようがないことからも当然である。
四、右に述べた「質問検査権の行使が、憲法三一条の適正手続条項を逸脱しないための要件」を本件の具体的調査にあてはめると、本件調査は、
1.申告を経たもの以外に課税所得があることを疑わせる合理的な理由も客観的な根拠もなく開示され、
2.調査理由の開示も一切なく、
3.臨宅調査は、上告人に事前に一切の連絡を入れることなく「昼の休憩時間」を狙って一回行なわれたにすぎず、
4.父親の重病と娘の結婚という、非日常形な忙殺事情があったにもかかわらずただちに反面調査を実施した。
というものである。
本件における税務職員の行為には、当初から上告人の協力を得て、所得金額を実額で把握しようという意思のかけらも存しない。
これは、憲法三一条で規定する適正手続条項も全く無視した「質問検査権の行使」である。
このような「質問検査権の行使」は、違法であり、これを正しく判断しなかった原判決は、憲法三一条の解釈を誤ったものと言わなければならない。
第二、推計過程の合理性について
原審は、第一審判決の理由中の判断を、ほぼそのまま引用して本件推計過程の合理性を容認している。しかし、以下に述べる諸点に於て、その判断は誤っているものと言わざるを得ない。そして、それらは判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背、法令、解釈の誤り、審理不尽、理由不備、理由齟齬及び経験則違背など、各上告理由に該当するものである。
一、両建記帳について
1.原審は、「被控訴人が抽出した同業者は、特に反対の立証がなされていない以上、すべて両建記帳を行なっているのが相当である」と判示する。その理由として、<1>抽出した同業者がいずれも青色申告を行うものであり、所得税法施行規則五七条により、明瞭性の原則に従うことが義務づけられている以上、相殺後記帳のような方法は許されないこと、<2>農協及び税務当局の指導により、昭和六〇年ころには、青色申告者の記帳精度は著しく向上していたこと、の二点を上げる。
2.しかし、右<2>については、何らの立証もなされていない。仮に、一般論としてそのように言えるとしても、大葉業者が長年に亘って慣行として行ってきた相殺後記帳が、右指導によって、一挙に消失したとは到底考えられないのである。
右<1>についても、法令の存在を以て、同法令が遵守されていることを当然の前提とする、証拠に基づかない誤った立場に立っている。
上告人は、何の根拠もなく「相殺後記帳」業者の存在を主張しているわけではない。上告人は、一時期農業協同組合の組合員であったことがあり、「経費率」を下げる方法として、「相殺後記帳」を行っている業者を現実に知っているのである(平成七年八月二一日付控訴人本人調書四一項)。
3.よって、原判決は、何らの証拠に基づくことなく相殺後記帳業者の存在を否定したもので、理由不備(民訴三九五条一項六号)と言わざるを得ない。
二、同業者選定基準の合理性について
1.原審は、被上告人が提出する類似同業者の報告書(乙二号証の一ないし三)が、「同業者の選定基準」により選定された合理性を有するものであることを前提とする。しかし、「報告書」形態で提出されているため、上告人には反対尋問等により、その真否を検証する機会が全く与えられていないのである。この点も、理由不備(右同条項)に該る。
2.また、乙三号証の一ないし三の記載内容は、大葉業者の経営実態を知る者にとっては、およそ惜信しがたい内容である。その理由は、経費率の上限と下限との間に、約二〇パーセントもの開差があると言うことである(昭和六二年度は一三・五五パーセント、同六三年度は一九・〇八パーセント、平成元年度は二一・三〇パーセント)。大葉業者の栽培・収穫・出荷作業は、極めて定型化され(その意味で、農業の中では近代化・合理化された分野である。)、摘み取り作業を行うパート労働者の賃金・大葉のパック詰めに要する外注費(内職者に委託)・運賃・出荷資材費など、いずれも定額化されている。但し、後述するように農業協同組合員か非組合員かで、各単価に差異が生じる費用も多々あるが、それぞれのグループ内では、一パックに要する経費は、ほぼ均一である。大葉が、通年栽培・通年出荷であることも、経費の均一化を促す要因となっている。つまり、事業規模による売上収入の多寡はあっても、全体に占める経費の割合は、ほぼ一定と言い得るのである。にもかかわらず、報告書に示された「同業者」(被上告人は、その全員が組合員であると主張する。)は、同じ大葉業者とは思えないほど、経費率はまちまちであり、その開差は著しい。特殊事情を有する業者を特に選別したか、あるいは全く架空の数字を記載したかの、いずれかとしか考えられないのである。
而も、同業者の申告書(甲一〇号証)は、上告人の右主張を裏付けている。まず第一に、経費の定額化についてである。右申告書は、平成二年分についてである。右申告書は、平成二年分についてであるので、甲一一号証から平成二年分の一パック単価を算出すると、金三五〇・六四円となる(平成九年二月三日付準備書面(二)第三項一参照)。次いで、甲一〇号証の某人が両建記帳であること、豊橋温室園芸農協の組合員であることを前提にパック数を算出すると、一二万四二二九パックとなる(販売金額を右一パック単価で除した)。甲一〇号証の「荷作り運賃手数料」から、一パック当たりの運賃金一〇・八円(但し、組合員単価)に右パック数を掛けた金一三四万一六七三円を差し引くと、外注費が金五四四万三七三九円であることがわかる。之を右パック数で除すと、一パック当たりの外注費が金四三・八二円であることが算出される。この数字は、一パックの外注費が定額であると言う、上告人の従前よりの主張を裏付けている(平成九年二月三日付準備書面(二)参照)。第二に、甲一〇号証から経費率が読み取れるのである。甲一一号証から平成二年の一パックの販売単価を算出すると、金三二一・〇一円となる。被上告人の算出した甲一〇号証の経費率である五八・〇七パーセントを右販売単価に乗ずれば、経費額が算出される。金一八六・四一円である。ところで、昭和六二年から平成元年にかけ経費額の差異は殆どない。外注費が、平成元年四月末日まで一パック当たり金三〇円であったものが、同年五月一日以降、金三七円と値上がりしただけである。右値上がりを考慮し、各年度の一パック当たりの経費額を算出すると、昭和六二年、六三年は金一七九・四一円、平成元年は金一八四・〇八円である。原審によれば、豊橋温室園芸農協に加入している業者の市場手数料を控除した後の平均単価は、昭和六二年は金二七九・七円、同六三年は金二五五・八円、平成元年は金二九四・六円である。これら平均単価を右経費額で除すれば、各年度の経費率が算出される。昭和六二年は、六六・六四パーセント、同六三年は、七〇・一三パーセント、平成元年は、六二・四八パーセントである。更に、右経費額から上告人の経費率を算出することもできる。上告人の各年度の販売単価(昭和六二年は金二四七・一八円、同六三年は金二四八・一円、平成元年は金二六九・八九円)で、右経費額を除すれば良い。そうすると、六二年七二・五八パーセント、六三年は七二・三一パーセント、元年は六八・二〇パーセントとなる。よって、経費率を低く抑えて(六二年は五六・四二パーセント、六三年は五八・九二パーセント、元年は五五・三二パーセント)税額を算出した原審判断が、如何に実態から乖離しているか明瞭である。付言すれば、甲一〇号証を一瞥すれば明らかなように、上告人と甲一〇号証の経営規模はほぼ同一であり、家族従事者数も同一である。
以上から、原審は理由不備・理由齟齬を犯し(民訴三九五条一項六号)、経験則にも違背し(民訴三九四条、同一八五条)、更に、審理不尽(最判昭三五年六月九日民集一四-七-一三〇四参照)でもある。
3.仮に、「報告書」記載の業者が、正当な方法で抽出され、その内容においても誤りがなかったとしても、大葉栽培業者については、以下の諸点に於て、協同組合の組合員であるか否かで著しい相違を齎す。
(一) 販売単価…上告人の販売単価は、組合に加入している業者と比べてかなり低い。組合は、全国の市場の動向を見ながら、価格が有利な市場に出荷することができるのに対し、個人ではそのようなことはできないこと、組合の出荷物は、市場において優先的に取り引きされるのに対し、個人の出荷物は組合の出荷物の後に取り引きされることになることが、その理由である。この点は、客観資料によって裏付けられている。すなわち、別表(一)「原告及び各農協の月別単価比較表」記載のとおりであり、その開差は著しい(詳細は、平成八年四月一六日付準備書面(五)右別表(一)は、平成元年七月から同年一二月までの半年分であるが、第一審は、事実関係については別表(一)通りと認めながら、半年分に過ぎないとして、右客観的事実を全く無視する態度に出ている。そして、原審は、之を肯認している。しかし、大葉業者の特性として通年栽培・通年出荷が上げられるが、当該三年度のうち半年間(すなわち、六分の一)について客観的販売単価が明らかとなり、その傾向が示された以上、之を全く無視するのは著しく社会通年に反する。理由不備・理由齟齬、審理不尽、経験則違背に各該当する。
なお、第一審判決は、乙八号証に基づき、甲八二ないし四号証に記載されている販売単価は、市場手数料を控除する前の販売金額に基づいて算定されたものと認定し、原審は之を容認している。しかし、乙八号証は、単なる電話聴取に過ぎず、上告人らの検証の機会に晒されたこともない書証で、証明力は低いといわざるを得ない。而も、之が正しいとすれば、豊橋温室園芸農協より遙かに組合員規模の小さい東三温室園芸農協の方が、販売単価が高いこととなり、実態にもそぐわない結果となってしまうのである。市場手数料を控除した前か後かでは、販売単価の比較に際し重大な相違をもたらす(八パーセント余の相違が生じる)。別表(一)からも、すでに市場手数料を差し引いた後の数字と見るのが正当である。よって、右点についても、原審は、理由不備、理由齟齬、審理不尽、経験則違背の誤りを犯していると言わざるを得ない。
(二) 出荷資材 <1>パック…一パック当たり、金六・六八円の開差がある(平成九年四月一四日付準備書面(四)参照)。少なくとも、甲一二号証で示された開差はある(別表(二)及び平成九年三月一二日付準備書面(三)参照)。<2>ダンボール…これも共同購入する組合員の方が廉価で取得するであろうことが推認される。
(三) 市場手数料…判旨によれば、〇・〇五パーセントの差異が生じており、上告人の方が高い。
(四) 通貨…豊橋温室園芸農協組合員は、一パック当たり金一〇円八〇銭(乙六号証)上告人は金一一円である。
(五) 出荷奨励金…〇・五パーセントないし〇・六パーセント(第一審判旨)
他方、組合員であることから、組合員が独自に負担する費用もあると思われるが、組合員の方が上告人のような個人業者よりも多くの費用を負担することは、大葉業者の大半が有利であるから組合に加入していることは常識であることから、自明の事実である。
したがって、経費額に付き、組合員と個人との負担額の多寡が判然としないとした原判決は、経験則に反している。
(添付書類-別表(一)、(二)-省略)
以上